記事: 立花英久の塑像 2025.12.13(土)-21(日)
立花英久の塑像 2025.12.13(土)-21(日)
部屋の中では女たちが行ったり来たりして
ミケランジェロの話をする
その女たちは、「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」に登場する。T・S・エリオットがなんの前ぶれもなくプルーフロックに見せた光景である。プルーフロックはまんまとその二行に出くわすが、エリオットの用意したかの女たちに近づくことはなかった。プルーフロックはそもそも女たちを直視したわけでもなかった。女たちを見るのはエリオットである。エリオットの書いたとたん、その部屋がエリオットを囲い、通りがかったプルーフロックがふし目がちにただ声だけを聴いたのかもしれなかった。ミケランジェロ? ミケランジェロ、ミケランジェロ! けれどプルーフロックは斜にかまえたまま、先を急ぐ。かれは臆病なだけだった。そもそもプルーフロックに先なんてなかったし、書いたエリオットだって、先までは見えていなかった。「行ったり来たり」するのはエリオットである。
「(女たちは言うだろうな、『あの方の腕も脚もほんとに細いのね!』)」
「プルーフロックの恋歌」はかれの独白で構成される。恋歌とはいえ、要になりそうな相手は出てこない。
わたしはその詩をよむたび、いつも「女たち」が気になってしまう。なんの脈絡もなく、唐突にあらわれては消える。
プルーフロックはスノッブな社交をことさらきらったが、ほんとうのところ、ひとがこわかった。のみこまれるのがこわかった。
「女たち」は、問いである。
男が先の見えない問いをどんなに追いかけようが、詩は131行で終わる。プルーフロックはそのことを知らない。知らないまま、いまも途方にくれている。かの女たちはとっくにミケランジェロの話なんて忘れている。ミケランジェロが問題ではない。
問いを追いかけているはずが、いつのまにか問いに追いかけられて、追いつめられる。
わたしは詩集をもとにもどす。
部屋の中ではわたしが座っている。








